菊池雄星アストロズ移籍後の成績は?出身高校と甲子園での活躍をリサーチ!

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こんにちはtrendsbeamのKozyです。

本日はアストロズの菊池唯生選手の移籍後の活躍と、

出身高校や甲子園での活躍をリサーチしました。

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菊池雄星アストロズ移籍後の成績

菊池雄星選手は2024年7月にブルージェイズからアストロズに移籍し、

只今負けなしの2勝を挙げています。

アストロズ移籍後の成績

8月13日のレイズ戦では、5回2/3を3安打1失点無四球5奪三振と好投し、

今季6勝目(9敗)を挙げました。

アストロズ移籍後は3試合に登板し、16回2/3を投げ、2勝0敗、

防御率は2.70の好成績を挙げています。

現時点では6勝9敗とまだ負けが先行していますが、

この調子でいくとすぐに勝ち星が上回る事でしょう。

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菊池雄星選手の出身高校

菊池雄星選手の出身高校は岩手県花巻市にある花巻東高校です。

花巻東高校の野球部は夏12回、春4回の甲子園出場がある名門校です。

準優勝が春に1回、ベスト4が夏2回の素晴らしい成績を収めています。

OBでは菊雄星選手、大谷翔平選手という2人の大リーガーを筆頭に

過去通算9名のプロ野球選手を輩出しております。

ちなみに大リーガー輩出ランキングベスト3の

1位はPL学園(現在休部中)の4名、

2位は東北高校の3名、同じく2位は横浜高校で3名、

3位に東海大仰星、花巻東、大阪桐蔭の2名となっているようです。

↓菊池雄星選手の年棒や妻についての記事です↓

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菊池雄星選手甲子園での活躍

菊池雄星選手は、甲子園でどのような活躍を見せたのでしょうか?

花巻東高校において、通常の控え選手がつける背番号「17」は特別な意味を持っています。

この番号は、特に期待された選手に与えられるもので、その伝統は菊池雄星選手から始まったとされています。

2007年・夏の甲子園(第89回大会)
高校1年生の菊池雄星選手は、背番号17をつけて夏の甲子園に出場。

彼の投球は周囲を驚かせ、入学からわずか4カ月で最速145キロのストレートを投げ込んでいました。

しなやかな左腕から繰り出されるフォームは、将来性を感じさせるものだったと言われています。

甲子園デビュー戦は新潟明訓高校との試合。

5回表の無得点の場面でマウンドに上がりましたが、甲子園独特の雰囲気に呑まれ、本来の投球ができなかったと後に語っています。

登板直後に四死球でランナーを出し、さらにレフト前ヒットで先制点を許し、この1点が決勝点となり、花巻東は惜しくも敗退しました。

それでも、8回・9回にそれぞれ2つの三振を奪うなど、1年生とは思えない堂々とした投球で強いインパクトを残しました。

2009年・センバツ(第81回大会)
菊池雄星選手が再び甲子園に戻ったのは2009年のセンバツ大会。

この年の投球が岩手県高校野球の歴史に大きな足跡を残しました。

1回戦の鵡川(北海道)戦では、8回二死まで一人の走者も許さない快投を見せました。

しかし、四球で完全試合の夢は絶たれ、さらに9回には2本のヒットを打たれノーヒット・ノーランも達成できませんでしたが、12個の三振を奪い、完封勝利を収めました。

この勝利は、岩手県勢にとってセンバツ25年ぶりの白星という歴史的なものだったのです。

2回戦の明豊(大分)戦でも完封勝利を挙げ、準々決勝の南陽工(山口)戦では背番号5の猿川拓朗選手に先発マウンドを譲る場面もありましたが、準決勝の利府(宮城)戦では5安打2失点で完投勝利。

ついに、岩手県勢として初の決勝進出を果たしました。

決勝の相手は清峰(長崎)。

6回まで無失点の好投を続けましたが、7回に四球を与えた後、9番打者へのインコースのストレートが甘く入り、センターオーバーの三塁打を打たれてしまいます。

この1点が決勝点となり、惜しくも優勝には手が届きませんでした。

東北勢初のセンバツ優勝という悲願達成はなりませんでしたが、素晴らしい活躍を見せました。

高校最後の夏
菊池雄星選手は、全国制覇を目指して再び甲子園へ挑戦。エースとして力強い投球を披露し、最後の夏に全力を尽くしました。

3回戦・東北(宮城)戦

菊池雄星選手はこの試合で、左腕投手として甲子園史上最速の154キロを記録。圧巻の投球を見せつけました。

準々決勝・明豊(大分)戦

しかし、ここで思わぬアクシデントが襲います。

初戦から肩や肘に違和感を感じていたうえ、背筋の痛みが悪化し、「呼吸するだけでも痛かった」と語るほどの状態に。

痛みに耐えながらの登板でしたが、5回途中で無念の降板を余儀なくされました。

試合後の精密検査で、左脇の肋骨に骨折が判明。

それでも痛みを誰にも打ち明けず、懸命に投げ続けていたのです。

試合は打線が奮起し、7対6で逆転勝利。

しかし、続く準決勝・中京大中京(愛知)戦では、菊池雄星選手は万全のコンディションではありませんでした。

準決勝・中京大中京(愛知)戦

それでも彼はリリーフとしてマウンドに立ち、11球を投げ抜きました。

しかし、体はすでに限界を迎えていました。

試合後、彼はこう語っています。

「痛くて、痛くて……。それでも自分を信じてマウンドに立たせてくれた監督や仲間の期待に応えられなかったのが悔しい。仲間のためなら、一生野球ができなくなってもいいから投げ抜きたかった」

その言葉の通り、彼は試合後、悔しさのあまり涙を流し続けました。

肋骨を骨折しながらも、最後まで投げ続けた菊池雄星選手。その姿は、高校野球ファンの記憶に深く刻まれています。

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